August 27, 2020

テストです

更新停止を避けるためのテスト記事です。

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October 12, 2006

『社会の教育システム』7章の要約メモ

 こんにちは。繁忙期に入り、続きの記事を投稿するのが遅れてしまいました。ルーマン本も、これで最終章です。社会システム理論の言葉で、教育的な事象を再記述することの意義が示される部分です。難解ですが、ルーマン理論を教育研究に応用する可能性を考えるうえで欠かせない章だと思いました(最後の節は、ルーマン的な「社会学的啓蒙」の意義を教育に即して繰り返し強調しているだけ、のようにも読めますが)。 

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September 30, 2006

『社会の教育システム』6章の要約メモ

 こんにちは。おとといに自宅に戻ってきました。帰省で減退した勤労意欲の立て直しをはかるこのごろです。沖縄ではすっかりご無沙汰していた方と久々にお会いする機会があり、(良い意味で)以前と変わらずお元気な姿をみて、励まされる気がしました。

 今回は、6章の要約メモをアップします。後半部分から抽象度が一層上がり、より難解になると感じるのは僕だけでしょうか。

 それはさておき、そこで提示された理念や計画の善し悪しを抜きにして、いわゆる「教育改革」をぶちあげることが果たす社会的な機能を淡々と(でもないか)記述する後半部分がとくに興味深い箇所でした。

 「どうせ外部の者に現場のことは分からないんだ」という教師のぼやきや、「昨日の敵は今日の友」とばかりにめまぐるしく変化する学校組織やカリキュラムは、教育の世界を知る人にとってはありふれたことがらかもしれません。

 ところがルーマンさんは、これらの背景にある<教職のプロフェッション化><教育組織の改編>に、システムのパラドックスを隠蔽し、そのままでは空疎にすぎない「教育する意図」にある内実を付与する働きを見いだしています。教育学的な議論ではネガティブなことがらとして把握されがちな事象に、社会的な機能があることを発見するところに、ルーマンの議論の面白さ(と難しさ)があるように思います。

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September 27, 2006

『社会の教育システム』5章の要約メモ

 帰省中で勤労意欲が減退しているこのごろですが、少しは仕事を進めておかないと、あとでひどいことになるのでがんばります。

 

今日は第五章の概要メモを掲載します。「分離」は、Ausdifferenzierung(分出という訳語が多いような…)を意味します。

 ちなみにこの章は、教育システムが機能システムとして分出する様相を再記述している部分です。他のシステムとの関係が、あくまでも教育システム独自の論理に即したかたちで変換されている(パラドックス展開)という点が、面白いところだと思います。あたりまえと言えばあたりまえなのかもしれませんが。

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September 24, 2006

『社会の教育システム』4章の要約メモ

 昨日の晩に、出張からもどりました。明日から数日間、遅めの夏休みをとって沖縄に帰省します(が、向こうでも仕事をしなければ。ううう。各方面にご迷惑をおかけしてすみません)。

 第四章は非常に短い章ですが、ルーマンさんは教育システムにおける授業(という相互行為システム)の役割をかなり重視しているように思います。そのわりには、授業の中身の記述については禁欲的なのですよね。このへんをどう考えるのかが、ルーマンさんの理論の応用をめざす時の一つのポイントかもしれません。EM的な授業研究や教育学的な「授業実践」をめぐる議論(昨日のI先生の報告は、このラインの可能性を模索するものだと理解しました)と接合するのかしないのか、はてさて。

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September 23, 2006

『社会の教育システム』3章の要約メモ

 大阪出張中です…。練習不足でプレゼンがうまくゆきませんでした……。次回はもっときちんと準備して、聞き苦しくない報告にします……。また、報告してもいいですか… (スパムメール風余韻)。

 ということで(?)気を取り直してメモ書きをアップします。

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September 20, 2006

『社会の教育システム』2章の要約メモ

 『社会の教育システム』第二章の概要です。個人的には、(あえて)生徒を<平凡なマシーン>として取り扱うことが、かれらの自己社会化を促進するという議論が興味深かったです。教育学的な議論で、「教え」と「学び」を対立的に捉える枠組みを乗り越える図式を提示しているような、していないような。「演技されたコンセンサス」の獲得という議論は、付け焼き刃でもいいので議論できるツールを獲得するという現代的な教養をめぐる議論とも通ずるような、そうでないような。

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September 18, 2006

『社会の教育システム』1章の要約メモ

 納期に追われているうちに、半年もブランクが空いてしまいました。サイトを閉鎖するのももったいないので、記事の内容の統一性にはこだわらず、更新できるときに更新するというやり方をとることにしました(同じようなことを何度も書きつつ、さぼっているような気がしないでもないですが)。

 ということで、久しぶりに、読書会のために作成したメモをアップします。

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April 03, 2006

自分のためのメモ

 ニクラス・ルーマン『社会の教育システム』(村上淳一訳、東京大学出版会、2005年)を再読。ルーマンさんはドイツを代表する社会学者で、社会をコミュニケーションによって構成されたシステム(正確には、コミュニケーションが遂行的に構成するシステム/環境の差異。うーん、不正確かも。)として捉える理論的な枠組みを提起したひとです。

 

と書いても、「なんのことやら」と思う人がほとんどではないかと思います。まあ、自分のためのメモということで、ご勘弁を。この本では、教育の世界をシステム理論のことばで再記述することを通じて、教育学的な議論が見落としていた盲点が明らかにされています。

 「どうして教育の世界ではいつも「子ども」がキーワードになっているのだろう? 」「悪口を言われつつも、試験が無くならない理由はなぜだろう」「多くの人が、時にはまったく相反する主張をしながらも『教育の問題を解決しなきゃ』という点では一致してるのはどうして」、などなど、教育の世界の独特な性格を厳密に把握したいという人にはお勧めの本ですが、慣れるまでつらいかもしれません。教育する意図を感じられる訳注の多さも特徴です。以下は、自分のためのメモ。

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March 07, 2006

変わっててもいいじゃん

 このところ「最近の若者は…」の後には否定的な言辞が続くのが常だ(予断)。だいたい世間の大人たちが、年少世代を「最近の若者」とひとくくりにしてしまう点が問題である(憶測)。それだけならまだしも、限定された範囲で見聞きしたことや大上段に振りかぶった議論の影響を受けて、自分たちとの違いをことさらに強調し、若者のすべてを「悪しき存在」として断罪するのは心が病んでいるとしか思えない(誇張)。若者に対するバッシングを諫める議論もあるけれど、だれもそんなことを聞いちゃいやしない。まさにそのことこそ、国際化・情報化・高度資本主義化・少子高齢化・脳のトレーニングに役立つゲーム脳化が急速に進む我が国の社会病理ではないのか(紋切型)。ああ、嘆かわしい…。

 でもよく考えてみると、僕たちはさしたる根拠もなしに、若者を叩くことに躍起になっているだけじゃないの?

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March 02, 2006

あなたって、そんな人だったの?

 しばらく連絡を取っていない友達にメールを送る。よく一緒につるんでいたころの昔のあれこれを思い浮かべながら書いた文章に返事がくるまでのあいだ、どこか落ち着かない気持ちになる。僕はいまでもきみと気持ちが通じ合っているように考えているんだけど、きみはそう思っているのだろうか?  メールに書いた過去のエピソードに登場するきみや僕の振る舞い、そこからうかがえるそれぞれの人となりは、もしかすると僕の勝手な思いこみが生み出した幻想に過ぎないのかもしれない。
 そんなことをぼんやりと考えながら受信メールのチェックを繰り返していると、きみからの返事が届いていることに気づく。…うん、きみはやっぱり変っていないようだ。このめまぐるしく変化する世知辛い世の中で、僕らはなんとか友情を維持しているらしい。

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February 13, 2006

面白かった本/面白そうな本

 季刊状態のこのサイト、忙しさを言い訳に更新をすっかりさぼっていました。他の人のブログをみているだけで幸せ…という気持ちが強くなってきたので、店じまいしようかとも思うのですが、でもまあせっかくなので、しばらくは備忘録的に使おうかなと気を取り直しました。自分のためのメモを公開してどうするのという気もするのですが、もともと訪問者も少ないので、ゆるい感じで続けることにしました。

 というわけで、最近読んだなかで面白かった本と、これから読もうかなと考えている本のご紹介です。

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November 23, 2005

ひとこと感想『下流社会』

 こんにちは。まとまった文章を書こうとすると、更新が滞ったままになりそうなので、あまり考えずに読後感を書くことにします(こんな記事ばっかりになりそうな)。

 三浦展『下流社会』(光文社新書、2005年)。ベストセラーとしてあちこちで言及されている本なので、内容については触れませんが、ネーミングの秀逸さ、図式のわかりやすさが売りの本です。ただ、この本を読むときに注意したいのは、所属する階層意識をもとに、「下流」の操作的定義がなされているにも関わらず、あたかも共通する社会経済的な属性を持つ集団であるかのようにして議論が展開している箇所が見られることだと思います(もちろん、筆者はそのことを自覚しているわけですが、誤読されかねない表現が多い)。

 もちろん、階層所属意識そのものを議論することは重要ですし、意識と社会経済的な属性の間には対応関係があることも確かなのですが、階層意識論が、実体的な階層をめぐる議論と混同されるとかえって問題の所在が見えなくなってしまうような気がしました。

 それから、統計データやインタビューをもとに、いくつかの「典型」が描かれる際に、「下流」に属する集団はみな同じような特性を持つかのように描かれている点にも留意する必要があるように思いました(もちろんそれが「典型」の果たす機能ですが)。

 と、書いているうちに一言ではなくなってきたのでこのへんにしますが、こうした点を差し引いて読む必要があるとしても、「階層の二極化」(が進行しているかどうかは、今年実施されているSSM調査の結果を待つ必要がありますが)が人々の社会認識に与える影響を探るためのさまざまな論点が示されている点では、学ぶ点が多い本です。

 

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October 02, 2005

ほとんど開店休業中ですが

 お久しぶりです。じぶんの処理能力を超えた課題に忙殺されて
いるうちに、かなり間があいてしまいました。

 このまま風化するのも本意ではないので、もう少ししたら久しぶ
りにまともに更新しようかと思います。

とりあえず、最近読んでおもしろかった本のタイトルだけをならべ
てお茶をにごします。


 ○最近読んでおもしろかった本・あれこれ

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July 15, 2005

地元で生きる、ということ。

 お久しぶりです(誰に向かって言っているのやら)。最近、忙しさと夏風邪にやられて更新が滞っていましたが、感想と励ましのメールをいただき、重い腰をあげることにしました(単純ですね)。

 それはさておき、少しだけじぶんの昔話をさせてください。僕は地方の出身で、学生時代を東京で過ごしていたのですが、上京してしばらくのあいだ、出身県関連の財団が運営していた寮に住んでました。

 そこは県のカラーがむちゃくちゃ濃い寮で、休憩室のテーブルには寮生の実家から送られてきた県産品のおすそわけが(ほぼ)常備され、ここに入った者は、我が県のシンボルともいうべき伝統芸能を習得しなければならない、という暗黙のルールまであったのでした。

 風呂・トイレ共有、掃除当番あり、2食昼寝つき・格安家賃・飲み会多数のこの寮、地方から身一つで花の都・大東京にやってきた僕にとっては、かなり居心地のよいところでした。しかし、残念なことに通っている学校から遠く、電車通学に嫌気がさして半年くらいで引っ越すことに。なかば仮住まいといった感じでしたが、そこで遭遇した人々はいまでも印象に残っています。

 吉川徹さんの『学歴社会のローカル・トラック』世界思想社、2001年を読んだときに、まっさきに思い浮かんだのが、この寮での生活でした。地方からはるばる上京してきた寮生が、身を寄せ合って(というにはあまりにも騒々しい生活でしたが)一つ屋根の下で過ごす。東京の大学で学び、あれこれの経験を積んだあと、再び地元に帰ってゆく。ああ、そうか、あの寮で形成される過剰なまでの地元意識は、この本で言うところの「ローカル・トラック」の制御を試みる戦略がもたらしたものかもしれないな。

 と、そんなことを書いても、同書を読んだことがない人は何のことだか分からないと思うので、ちょっとだけ本文を引用してみよう。

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«本田由紀さん『若者と仕事』のメモ