感情のねうちを勘定する
ごくたまに、コンビニやファミレスなどで、あまりにも無愛想な店員に出くわして呆然とすることがある。そこで買い物や食事ができさえすれば当初の目的は果たせるはずなのに、丁寧な接客を受けないと僕たちは損をした気になる。これはなぜだろうか。
そう感じるのは、商品やサービスを購入する時には、「柔らかな物腰で接してくれる」「丁寧な扱いをうける」といった、「接客」という場面にふさわしい態度を店員が示すことが暗黙の前提になっているためだろう。もちろんそこには、感情を一定の幅でコントロールすることも含まれている。スマイルもサービスのうちというわけだ。
このように、同一の商品やサービスを購入する際に、愛想良くされる場合とそうでない場合では損得勘定が違ってくるということは、「感情」があたかも一つの商品のように売り買いされていることを表す事実である。某ハンバーガーチェーンでは「スマイル」がタダということになっているが、実際は従業員に接客のトレーニングをしているはずなので、訓練にかかるコストが商品代に上乗せされているに違いない。
ホックシールド『管理される心:感情が商品になるとき』(世界思想社、2000年【原著は1983年】)は、「感情労働」という概念を提起することで、現代社会における心の商品化を描きだした力作である(その後、同書の議論を一つの呼び水にして「感情社会学」というジャンルが独自の展開を見せている)。本書では「感情労働」という用語を次のように定義している。
「私は「感情労働(emotional labor)」という用語を、公的に観察可能な表情と身体的表現を作るために行う感情の管理という意味で用いる。感情労働は賃金と引き替えに売られ、したがって<交換価値>を有する。」(訳書p.7の注記より)
ホックシールドによれば、感情とは「心」から自然にわき上がるものではなく、社会のなかで共有されたルール(感情規則)に従った表現である。私たちは私的な領域のなかで親しい友人に対して様々な感情を表出するが、時には公的な場面でお仕事として、特定の感情を示すことを要請されるのである。
この本の面白いところは、フィールドワーク(密着取材的な調査法)の手法を用いて、「客室乗務員」と「集金人」(借金取り立て業)というまったく対照的な二つの職業に従事する人々を調査して、どちらの仕事にも「感情労働」が存在することを指摘した点にある。両者の仕事を対比した箇所を引いてみよう。
「企業社会の一極であるこの世界【客室乗務員が従事する航空業界:引用者】では、心からの温かさが商品であり、無愛想さや冷淡さは問題とされるのである。他方、もう一方の極【集金人の業界:引用者】では、金銭の請求が発生し、たとえ顧客の自尊心を完全に犠牲にしようとも、集金しなければならない。この集金劇の終盤にふさわしいのは心からの疑いの念であり、温かさや愛想の良さは問題とされるのである。これらの仕事の一方ではうまくやれない者が、他方ではすばらしい働きをするかもしれない」(訳書、p.169)
そう、債権者を精神的に追いつめて、首尾良く借金を回収しようとする貸金業者たちもまた、ネガティブな感情をコントロールしながら仕事をしているという意味では「感情労働」に従事しているのである。
話は変わり、教師の世界では「教師は子どもを怒るのではなく叱らなければならない」という格言(?)が語られることがある。ここでの「叱る」も、教育的効果を考えた上での感情の表出であり、一種の感情労働であると見ることができる。「褒めることが子どもを伸ばす」というフレーズも、教師にどのような感情表出が求められているのかを伺わせるものである。
このように、先生方の日々の仕事を「感情労働」という視点から捉えると、新しい発見があるかもしれない(実は、ハーグリーブスという教育社会学者が「感情労働」という視点から教師の仕事を分析した論文がある。これについてはいつか日を改めて紹介したい)。


Comments
はじめまして。突然すみません。
教師と感情労働というテーマで検索してこちらの記事を見つけました。
私は保育士のコミュニケーション分析に感情労働の概念を使って考えることができないかとあれこれ模索しています。
(保育所に勤める社会人大学院生です)
教師と感情労働というテーマは簡単には扱いにくい(教師の仕事はサービス業の側面は持っているものの、それ以上のものを多く含んでいるので)とは思いつつ、とても興味があります。
>ハーグリーブスという教育社会学者が「感情労働」という視点から教師の仕事を分析した論文がある。
ちょっと調べてみたのですがそれらしいものが見当たりませんでした。
もし差し支えなければなんという文献か教えていただけないでしょうか?
Posted by: さこやん | April 24, 2007 at 03:07 PM