変わっててもいいじゃん
このところ「最近の若者は…」の後には否定的な言辞が続くのが常だ(予断)。だいたい世間の大人たちが、年少世代を「最近の若者」とひとくくりにしてしまう点が問題である(憶測)。それだけならまだしも、限定された範囲で見聞きしたことや大上段に振りかぶった議論の影響を受けて、自分たちとの違いをことさらに強調し、若者のすべてを「悪しき存在」として断罪するのは心が病んでいるとしか思えない(誇張)。若者に対するバッシングを諫める議論もあるけれど、だれもそんなことを聞いちゃいやしない。まさにそのことこそ、国際化・情報化・高度資本主義化・少子高齢化・脳のトレーニングに役立つゲーム脳化が急速に進む我が国の社会病理ではないのか(紋切型)。ああ、嘆かわしい…。
でもよく考えてみると、僕たちはさしたる根拠もなしに、若者を叩くことに躍起になっているだけじゃないの?
浅野智彦編著『検証・若者の変貌』(勁草書房、2006年)は、1992年と2002年に杉並区と神戸市で実施された二つの調査を比較検討することで、「社会学的なやり方で今日の若者の像を描き直し(中略)九〇年代初頭から一〇年の間に日本の若者がどのように変化したのかを検討」する(p.1)ことを試みた本である。
編者の浅野さんによれば、90年代以降の僕らの社会は、日本経済だけではなく、若者論の「失われた十年」でもあった。というのも、実態とのズレを含みながら、まがりなりにも若者の可能性と問題点の両方に目配りをしていたそれ以前の議論と異なり、90年代の若者論は「否定的な色彩に塗り込められ」ており、「世代の持つ特徴がことごとくネガティヴなもの」(p.4)とされているからである。こうしたわかりやすいが一面的な議論には、「若者が彼ら自身の生をよりよいものにしていくための、そして彼らが社会をよりよいものに変えていくための種子」(p.6)を見落とす危険性があるのではないか。若者に生じた変化の肯定面や可能性をきちんと把握せず、問題点をあげつらうだけでよいのか。
このような問題意識を背景に、本書では、「音楽生活、メディア利用、友人関係、自己意識、社会意識」(p.9)という五つの視角が設定され、これらの点について人々が抱いている若者のネガティブ・イメージが実際にそうなのかどうかが検証されている。人間関係の希薄化、モラルの解体、自己愛の肥大などなど、若者バッシングの根拠とされている特徴を裏付けるどころか、それらと相反する・あるいはこうした単純な図式では把握できない調査結果が提示されているのを見ると、多くの人が「常識」だと考えていることがらが、いかに実態と乖離した空論なのかがよく分かる。個人的には、若者たちの友人関係、アイデンティティ、道徳・規範意識を検討した四章〜六章の議論と編者の浅野さんによる終章のまとめが興味深かった。
当然のことながら、社会調査データや公式統計など、一定の手続きを踏まえれば誰でも検証が可能な資料を用いて「若者バッシング」に反論する本は同書だけではない。ただ、この本の面白いところは、近年の若者が「よい意味でも悪い意味でもあまり変わっていない」(p.134)ことを指摘しつつも、否定的だとみなされていることがらを含めて、若者やかれらを取り巻く世界に変化が生じていることを率直に認めている点にある。問題は「変化しているその方向が人々によってそうであると信じられているようなものとは異なっている可能性がある」(p.235)ことにある。例えば、若者を論難する人々に「人間関係の希薄化」と信じられていることがらは、「希薄化というよりもある種の濃密化」であり、「多チャンネル化し、状況志向を強めながらその内部で独特の繊細な感受性を育んでいる」(pp.253-236)のが実態ではないのか。若者に対する「真摯な批判は徹底した理解を要求する」(p.256)というスタンスに大いに共感した。
なんだか堅い感じになってしまいましたが、統計的な分析手法を解説したコラムが各章の末尾に掲載されるなど、一般の読者に配慮したつくりの読みやすい本です。若者のことが気になる人におすすめします。


Comments
コメントありがとうございます。問題の答えは、また追ってアップしますので、お楽しみに!
Posted by: 安原宏美 | March 11, 2006 at 09:26 PM