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March 02, 2006

あなたって、そんな人だったの?

 しばらく連絡を取っていない友達にメールを送る。よく一緒につるんでいたころの昔のあれこれを思い浮かべながら書いた文章に返事がくるまでのあいだ、どこか落ち着かない気持ちになる。僕はいまでもきみと気持ちが通じ合っているように考えているんだけど、きみはそう思っているのだろうか?  メールに書いた過去のエピソードに登場するきみや僕の振る舞い、そこからうかがえるそれぞれの人となりは、もしかすると僕の勝手な思いこみが生み出した幻想に過ぎないのかもしれない。
 そんなことをぼんやりと考えながら受信メールのチェックを繰り返していると、きみからの返事が届いていることに気づく。…うん、きみはやっぱり変っていないようだ。このめまぐるしく変化する世知辛い世の中で、僕らはなんとか友情を維持しているらしい。

 私が他の誰でもなく、この私であること──自己アイデンティティを確認するためには、自分自身に「私をめぐる物語」を語るだけではなく、その物語にに耳を傾ける他者の存在が必要である。私たちは、お互いに「自分らしさ」を確認しあうなかで、今日も私でいつづけることができる。

 でも、「私は私だ」という言明が、内容を欠いた空疎な同語反復であることからも分かるように、いまの私がこうである理由はどこにもないし、いまこの瞬間から別様の「私」を生きる可能性を捨て去ることはできない。けれども、普段の私たちは、そのような「自己の偶有性」に思いをはせることもなく、あたりまえに「私」を生きている。

 この当たり前の営みが、「私」の存在を認めてくれる他者、あるいは私とは一見関係がないように見えるよそ者に対する暴力を前提としていたら? 

 天田城介さんの『<老い衰えてゆくこと>の社会学』(多賀出版、2003年)は、高齢者介護の現場に身を置きつつ上記の問いを掘り下げ、「自己」を保持してゆくことをめぐる政治を描き出し、自らについて語ることの困難に直面した人々──とりわけ、老い衰えてゆく人々やかれらの家族、介護の現場で働く人々──それぞれについてのケアの可能性と限界を明らかにした労作である。

 天田さんは、特別養護老人ホームの「痴呆専門棟」、在宅でケアサービスを利用する家族介護者、夫婦のどちらかが<老い衰えた>配偶者を介護する「高齢夫婦介護」の現場に足を運び、丹念な聞き取りや観察を積み重ねる。そこから明らかになることは、全人生を通じて、私が私でありつづけることを強制されてしまう社会の息苦しさである。

 医療制度によって生み出され、また制度自体の存続を支える「痴呆性老人」という概念は、自立した元気な高齢者というポジティブなイメージが自らの輝きを維持するために要請した<他者>ではないのか? 「痴呆」と呼ばれる出来事によって、「その人らしさ」が失われてゆくようにみえる変化は、実際のところ、「その人」と共に人生を歩んできた私の「私らしさ」に対するこだわりが生み出した幻想で、その幻想こそが、あなたと私の関係を苦しめているのではないか? これまでの私やあなたの人生を支えてきた社会的な役割、例えば「妻であること」「夫であること」は、<老い衰えてゆく>プロセスのなかで、逆に私─たちの間柄を閉塞させる役割を果たしてしまっているのではないか? 

 ふだんは語られることのない(あるいは聞き取られることのない)当事者たちの物語に耳を傾けることで、僕たちが(漠然と)考えていた「高齢者の世界」が浅薄な幻想に過ぎなかったことが明らかにされるとともに、僕たちがひとしく要請されている、「アイデンティティを維持せよ」という課題の切実さと、それが<他者>の排除をもたらす危険性が指摘される。

 600頁に近い大部な書物(そのこともあってお値段もべらぼうです)なので、すべての内容を紹介することができないが、この本の特に優れたところは、高齢者介護というアクチュアルな問題を論じつつ、近代以降の社会と個人との関係はどのようなもので、それはこの先どのように変わりうるのかという社会理論上の問いに対しても著者なりの明確な回答を示している点である(さらに、高齢者介護の具体的なあり方について提言している点もすごいです)。えーと、その回答については、実際に本書を手にとってみてください。

 当然ながら、社会の秩序(それは私たちが望んでいることでもある)を維持するために排除される(かもしれない)<他者>は、「老い衰えてゆく」人たちだけではない。本書の末尾でも明言されているように、当事者ではないよそ者がことがらを観察し、記述・分析することのいかがわしさや暴力性を自覚しつつ、自らについて語ることが難しい状況を生きている多数の人々の声に耳を傾ける仕事が、教育の世界でも求められているのではないだろうか(と書くと大仰なものいいになってしまい、それはそれで問題があるのですが)。よく分からなかった人たち/これまで分かっているつもりだった人たちとの出会いを通じて、今までそうでしかあり得ないと思っていた私─たちの存在の自明性を問い直し、別様な姿へと変えること。本書はこうした「ささやかだけど、役にたつ」実践のすすめでもあります。

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