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April 03, 2006

自分のためのメモ

 ニクラス・ルーマン『社会の教育システム』(村上淳一訳、東京大学出版会、2005年)を再読。ルーマンさんはドイツを代表する社会学者で、社会をコミュニケーションによって構成されたシステム(正確には、コミュニケーションが遂行的に構成するシステム/環境の差異。うーん、不正確かも。)として捉える理論的な枠組みを提起したひとです。

 

と書いても、「なんのことやら」と思う人がほとんどではないかと思います。まあ、自分のためのメモということで、ご勘弁を。この本では、教育の世界をシステム理論のことばで再記述することを通じて、教育学的な議論が見落としていた盲点が明らかにされています。

 「どうして教育の世界ではいつも「子ども」がキーワードになっているのだろう? 」「悪口を言われつつも、試験が無くならない理由はなぜだろう」「多くの人が、時にはまったく相反する主張をしながらも『教育の問題を解決しなきゃ』という点では一致してるのはどうして」、などなど、教育の世界の独特な性格を厳密に把握したいという人にはお勧めの本ですが、慣れるまでつらいかもしれません。教育する意図を感じられる訳注の多さも特徴です。以下は、自分のためのメモ。

・ルーマンは何を批判しているのか?

 (1)人間本意主義的教育概念

   ←「教育の機能は<人間の人格化>にある」(p.35)/「教育システムの機能は、もっぱら個々の人間に今後の人生の準備をさせること、つまり個々の人間の「経歴」に関わるのである」(p.46)

 (2)社会化・(文化の)伝承モデル

 ←「社会化はつねに自己社会化であって、文化の断片が心的システムに輸入される[たとえば伝統文化の学習が迫られる]ということではない」(p.61)

・教育事象のシステム論的把握

 <教育する意図>によるトートロジカルな教育の定義:パラドックスの展開(解消)
 a)役割の非対称性(p.65)・善き意図とそうでない意図の区別・知覚の再帰性を伴う相互行為システム(授業):社会的次元へと解消されたパラドックス
 b)伝達可能(+)/伝達不能(ー) という区別によって、「知識と能力がまだない者にこれを伝達」する:時間次元へと解消されたパラドックス(p.70)

・教育評価としての選別:教育と選別の相互循環

  「<善き意図>は、全く異なる二人の子を産んだ。教育と選別である」(p.74)
    →選別はより良い/より劣るという二次的コードを生み出す。伝達可能/伝達不能という一次的コード化を補完する。

 「教育そのものは<伝達可能>/<伝達不能>というコードによってのみ評価されるが、これは、教育の成果を評価するための手がかりを与えない。そこで、この一次的コード化を補完するのが、伝達が成果を挙げたか否かを確認するための事後的手続き、すなわち<より良い>/<より劣る>のコードによる判断なのである」(p.87)

   ★相対評価と到達度評価は、良/否コードが作動する上で呼び出される(コードと未分化な)プログラムと把握することができる? コードの二値性は到達度評価のほうがより明確。

   ★事象次元に解消されたパラドックスは評価と関係しているのか? あるいは、教育システムにおける媒質/形式図式の形式の側、すわわち個人の獲得した知識の獲得を、事象次元で解消=展開されたパラドックスとみて良いのか? でも、知識は「諸個人とその環境との、社会的に是認された関係」(p.127)とあるので、ここで事象次元を持ち出すのはおかしい?

・教育システムの特殊性:コード/プログラムが未分化、シンボリックに一般化されたメディアの不在

 「教育システムのこうした特殊性は、他のもろもろの機能システムとは違って(中略)コード化とプログラミングが明確に区別されないということにも示される」(p.88)

 「教育は、<未完成な子供>という意味論(中略)によって、いわばみずからのゲームを定義づける。したがって、教育学が成長途上の者(中略)と学校を念頭に置いて自己の任務を考える限り、教育学にとっては子供が教育の媒質なのである」(p.116)
 →メディアとしての子ども。教育システムの分離(分出)が進行すると、子どもメディアが、経歴(ライフコース)メディアに置き換えられる。

 「媒質として機能する子供の観念が二〇世紀中に[新しい媒質として機能する]<経歴>[広い意味でのキャリア]という観念によって置き換えられたことを示す材料は、たくさんある」(p.120)

    →教育システムの媒質(メーディウム・メディア)における形式(フォルム)は(教育的なコミュニケーションによって構成される)知識。「学術は、吟味された知識、虚偽ではないかとテストされた知識だけを、承認する。マスメディアは、もっぱら情報を理解するための前提として、知識を運ぶ。教育システムにとって、知識はつねに個人の知識であり、その意味で、経歴にチャンスを与える形式、または、知識が欠ける場合はチャンスを閉ざす形式である」(p.126) 

・ルーマンによる移行過程の(教育システムに準拠した)把握:教育・個人(人格?)・社会の関係

 「教育は、とるべき経歴を指定することができない。(中略)教育は、<媒質と形式>の差異を手がかりとするしかないのである。教育は、確かに、特定の職業(略)のための著しく特殊化された職業教育を提供することができ、そうした職業教育なしにはありえないさまざまの可能性に満ちた経歴への道を開くことができる。しかし、それは、将来の振る舞いを決定するという形でなされるのではない。可能性に満ちた経歴への道は、ある特定の振舞いが要請された場合その要請にまずは自信をもって応えられる知識を備えることによってのみ、開かれる。それは、ある状況における振舞いにとって意味のあるさまざまな情報を、その都度獲得できるという自信である」(p.131)

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