『社会の教育システム』4章の要約メモ
昨日の晩に、出張からもどりました。明日から数日間、遅めの夏休みをとって沖縄に帰省します(が、向こうでも仕事をしなければ。ううう。各方面にご迷惑をおかけしてすみません)。
第四章は非常に短い章ですが、ルーマンさんは教育システムにおける授業(という相互行為システム)の役割をかなり重視しているように思います。そのわりには、授業の中身の記述については禁欲的なのですよね。このへんをどう考えるのかが、ルーマンさんの理論の応用をめざす時の一つのポイントかもしれません。EM的な授業研究や教育学的な「授業実践」をめぐる議論(昨日のI先生の報告は、このラインの可能性を模索するものだと理解しました)と接合するのかしないのか、はてさて。
第四章 相互行為システムとしての授業
I 相互行為の自己組織化による<授業秩序>の形成(pp.137-144)
教育システムに授業という相互行為システムが組み込まれることによって、教育的コミュニケーションへの参加者は、「自分が知覚されていることを知覚する」(p.138)という自照的な知覚を促されるようになった。
授業という相互行為システムは心的システムによる多様な観察に開かれており、自己参照的な相互行為システムが実際のところ何を生み出しているのか把握することは不可能である。
とは言え、意図や計画の設定や教師の役割の確定を通じて、相互行為システムが外部を参照することは可能であり、授業という複雑なシステムは独特な紀律を必要としてもいる。教師と生徒の役割の差別化、学級やそこで用いられる時間割は、授業という相互行為システムの複雑性を特殊に縮減する役割を持っている。
・授業という相互行為システム必要とされる紀律
(1)教師と生徒の相補的であるが非対称的な役割構造:役割は「割り当てられるもの」で選択できない(相互行為の進行や生徒の発言の機会は教師が統制する)
(2)時空間の特殊な制約
(学級の割り当て、授業時間の区分→挿入時間と定期時間、出席簿などによる「人格」の管理)
(3)諸人格が時空間を共にし、相互に観察しあう状況をつくる
II <型どおりの進行>と<偶然の波瀾>(pp.144-147)
授業は型と偶然が一体化しているというパラドックスに教師を直面させる。パラドックスを解消するための教師の対処が、授業独自の秩序を生み出し教育システムの社会的な分離を基礎づけることになる。
→授業のこうした特性は、長期に亘る集中と高い要求水準の職業教育を可能にする。


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