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September 18, 2006

『社会の教育システム』1章の要約メモ

 納期に追われているうちに、半年もブランクが空いてしまいました。サイトを閉鎖するのももったいないので、記事の内容の統一性にはこだわらず、更新できるときに更新するというやり方をとることにしました(同じようなことを何度も書きつつ、さぼっているような気がしないでもないですが)。

 ということで、久しぶりに、読書会のために作成したメモをアップします。

ニクラス・ルーマン『社会の教育システム』(村上淳一訳、東京大学出版会2004年)

第一章 人間と社会

I 社会理論的前提(pp.1-6)

 ルーマンの社会システム理論の概要を理論的前提として提示(pp.2-6)

(1)社会(ゲゼルシャフト)システムは社会的作動から形成される閉じたネットワークである。
(2)社会(ゲゼルシャフト)システムを形成する作動はコミュニケーションである。
(3) 近・現代社会システムは機能分化した社会システムによって構成される
(4) 教育システムは、機能分化した社会システムの一つである。
(5) 社会システムは自己参照/外部参照を区別することで自らを構成する。
(6) 社会システムの作動─生成は、自らのあり方の不確かさを生みだす。
(7) 教育システムにおける⑥の事態は、ミクロな多様性を生み出し、それを前提とする。
(8) 社会システム(各社会システムと全体社会システム)は、意味という媒体に形式を与えることによって、システムが自ら生み出す不確かさを受けとめる[社会システムの基底的な構成要素は意味であることのパラフレーズ?]

II <人間本位主義的>教育概念の陥穽(pp.6-14)

 教育をめぐる従来の議論が前提としていた「人間本位主義」を批判しシステム理論によって再記述することを提起

 ・階層分化した社会の教育概念:貴族教育としての哲学/古代ギリシャの「育成」概念
   →キリスト教の世界宗教化により、教育の営みが脱文脈化される
    →啓蒙主義・人間本位主義的な理念を基盤とした教育論が登場
     →18世紀の末になると<主体を啓発する>という図式が強調される。

これらの図式は、社会構造の変化(cf.分業の進展など)が度外視され、まるごとの<人間>を前提している点で問題がある。伝統的な教育論は、人間概念からの脱却ではなく、「人間を類型化して捉える記述」(p.13)によってこの問題を隠蔽してきた(ブルデュー的な)教育システムの階級再生産機能に対する批判は、教育システムの用いる抽象化された概念のもつ政治性を明らかにしたが、「教育システムにおける差別化によって何が達成されるべきかを、明らかにするものではない」(p.12))

 →「われわれは、人間の概念と社会の概念を明確に区別し、教育の社会的機能を検討する場を確保しなければならない」(p.14)

III 人間における<作動の閉鎖性>と<構造連結>(pp.14-22)

現代的なシステム理論の視座で「人間」を観察すると、閉鎖的に作動した諸システムが構造的に連結した非常に複雑な(諸)システムであることが明らかになる。

 ・古典的な人間概念
人間をひとつのまとまりとして把握(p.18)/社会は人間たちから成る(p.20)
「魂」「精神」による創発性の叙述(心身二元論的な決定論問題の解決)

  ・システム理論的による「人間」の把握
    人間は、構造的に連結した諸システムの総体→
     物理的な因果性に規定されつつも、不透明性と不定性を有したシステム(連関)
「システムそのものが実現されるミクロ物理学、生化学等々のレヴェルでは決定論をとらざるをえないにもかかわらず、決定は不定性を生むというメカニズムが覆ることはない」(p.21)
      →人間は社会を構成する要素ではなく、社会システムの創発に必要な差異を
        生み出す複雑な(諸)システム。

IV コミュニケーションと<人格>概念(pp.22-36)

 社会システムは人間を<人格>という形式で取り扱う。「コミュニケーションへの人間の関与は、コミュニケーションのなかで、コミュニケーション自身の手段によってシンボル化されなければならない。そのシンボル化の形式を、われわれは「人格」と称しているのである」(pp.25-26)

  ・社会的固有値としての人格(p.24)がコミュニケーションプロセスで果たす機能(p.26)
    ①二重の不確定性の触媒機能 ②人格が記憶を持つという前提の提供 ③動機づけ図式の提供
→これらの機能が実際に心的システムに備わっているかどうかは問題ではない。上記の「特徴が備わっているという想定が、コミュニケーションのプロセスにおいて、以後のコミュニケーションの前提として再生産されるだけで充分である」(p.34)/逸脱する場合は「病的なケース」として取り扱われる。

  ・教育の社会的機能(p.35):人間の人格化
「人間は、産み落とされる。人格は、社会化と教育によって成る。この違いを念頭に置くならば、教育の機能は<人間の人格化>にあるということが、すぐ判る」(p.35)/人格はコミュニケーションにおける通行章(p.36)。

V コミュニケーションシステムとしての社会と<教育>(pp.36-41)

 これまでの検討を踏まえると、社会を構成するのはコミュニケーションであり、人間ではないことが明らかになる。とは言え、教育が「人間本位主義」を捨てないのは、古典的な枠組みにとらわれているだけでなく、教育的なコミュニケーションが<(個々の)人間を変える>ことを目的としているためである。

VI 相互行為システムとしての授業(pp.41-46)

 従来の教育論は、教育を「知識の伝達」と捉えていた。これらの議論で捨象されがちな点は、「教育が学校の仕事とされる限り、それは(中略)授業という相互行為状況で行われる」(p.42)という事実である。授業という相互行為システムを通じて、生徒が(後に述べるように自ら)変化すること、それを通じて「個々の人間に今後の人生の準備をさせること」が教育システムの社会的機能である。

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Comments

こ、これはっ・・・
『情熱』次回の予定は明日分かりますので
もう少々お待ち頂ければと思いますm(_@_)m。

Posted by: BK | September 18, 2006 09:17 PM

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