『社会の教育システム』3章の要約メモ
大阪出張中です…。練習不足でプレゼンがうまくゆきませんでした……。次回はもっときちんと準備して、聞き苦しくない報告にします……。また、報告してもいいですか… (スパムメール風余韻)。
ということで(?)気を取り直してメモ書きをアップします。
第三章 媒質と形式
I <媒質と形式>の区別(pp.105-112)
教育的な関与によってオートポイエーシス・システムを変化させることはいかにして可能か、という問いに答えるために、システム論は媒質/形式の区別を用いる。
・媒質/形式の区別
媒質は緩やかな連結、形式は緊密な連結。この区別を用いることで、時間が捨象される(p.108)。「媒質と形式の区別自体が、意味という一般的な媒質にとっての一つの形式」(p.108)
→媒質/形式の例:言語と文、貨幣とその支払い、官職権力と官職による決定、素材と美的芸術など
→新しい形式のための新しい媒質の導入は、機能分化した社会システムの形成を促した。
→それでは、教育システムにとっての媒質は何か?(p.112)
II 教育の媒質としての<子供>(pp.112-119)
教育システムの媒質は子供である。大人/子供の区別が導入され、<未完成な子供>という意味論が形成されることによって、教育システムは機能的に分化した社会システムとして分離するようになった。媒質としての子供は、「教育の実践活動においてはじめて必要とされ確かな背景として予定されもする一個の構成である(中略)<媒質としての子供>は、[じかにとらえられる]子供ではなく、教育者が<子供は教育可能だ>と信ずることができるための一個の社会的構成に他ならない」(p.118-119)
III 新しい媒質としての<経歴>(pp.119-125)
教育システムの分離と普遍化(ただし、当初は対象として一定年齢の子どもが想定されていた)に伴い、教育システムの媒質は<子供>から<経歴>に置き換えられる。経歴はそれ以前の経歴との結合のなかで固有の形式を獲得する。「経歴にはどれ一つ同じものはないが、誰もが、経歴という<媒質>が得たそれぞれの<形式>なのだ」(p.122)
・物語/近代的な小説の登場:媒質としての経歴の登場を示唆する出来事。
→主体概念の力が失われ、「人格は自分自身を学ばなければならないという観念」(p.124)が登場する
→媒質としての経歴の登場は、近代社会の機能分化した諸システムが生み出す<未来の不確かさ>に向かう諸変化に対応するものである。
IV 経歴という媒質にとっての形式としての<知識>(p.125-131)
教育システムにおいて、経歴という媒質の形式は知識である。知識の獲得を目的のための手段とする従来の教育学は、不確かな未来によって目的が定まらなくなった近代社会では妥当しなくなる。システム論は、知識を手段としてではなく、媒質/形式の区別の片方(形式)として位置づける。
機能的に分化したシステムは、それぞれ独自の知識概念を用いている。知識の真偽を問う学術システム、情報理解のために知識を用いるマスメディア・システムと異なり、教育システムにおける「知識はつねに個人の知識であり、その意味で、経歴にチャンスを与える形式、または、知識が欠ける場合にはチャンスを閉ざす形式である」(p.126)
・「教養」概念の再定式化
教育システムが個人に付与する知識は、余剰性(既知のことがら)/可変性(未知のことがら)という区別を行う形式である。「知識はかれらに、何がおきようと自力で切り抜けていけるという意識をもって、あえてなじみのない土地へ進出できるための装備を与えてくれる」(p.129)
→このような知識概念に従うと、教養は「顕示できる知識」と解することができる。
・教育システムにおける経歴/知識図式の役割
教育はその対象者にとるべき経歴を指定することはできない。「教育は<媒質と形式>の差異を手がかりとするしかない」(p.131)→生徒がどのような経歴を歩み、そのなかでいかなる知識を蓄積してきたのか、を把握することで、伝達可能/不能、より良い/より劣る 図式を用いたコミュニケーションが可能になるということ?


Comments
つるさん。コメントありがとうございました(あの発表は反面教師にしてください…。励ましのお言葉、ありがとうございます)。
僕のばあい、ルーマンの文献を読んでいると、そこで用いられている区別を用いてあれやこれやを観察したくなります。つるさんの言うところの「本に読まれている」という感覚はそれに近いのではないかと想像しています。
なんだかまとまりがありませんが、このへんで。
Posted by: ebony | September 24, 2006 at 01:24 PM
初コメントです。
発表お疲れ様でした。とても興味深く聞かせていただきました。
さて、ルーマンですが、ebonyさんのメモを読んでいたら『社会の教育システム』も是非読まなくてはな、と感じます。
ただ、ルーマンの文献に接していると、こちらが「読んでいる」というよりも何か本に「読まれている」ような錯覚を覚えるのは僕だけでしょうか。。。
Posted by: つる | September 24, 2006 at 08:31 AM